「社会への同調」で生まれる「ニセの記憶」 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

人は物語を作る。われわれは世界を受動的に認識するのではない。われわれは世界についての物語を語り、ランダムに起こるイベントを整理して、ひとつの筋の通った物語にする。
われわれは自分の物語を調整して、よりよい物語に変える。われわれは事実を曲げて、もっと集団にアピールするようにする。
われわれは社会的動物であるから、過去の記憶も、社会的圧力に即する形で絶え間なく修正されているのだ。
虚偽の記憶が、被験者の中ではすでに事実となっていたことを示している。
偽りのプロパガンダなどがもたらす社会的影響は、政治キャンペーンや商業広告における個人の記憶に有害な影響を及ぼしたり、目撃者の証言を変化させて裁判の妨げになったりするおそれがある。しかし一方で、記憶の同調は、適応的役割を果たす可能性も考えられる。
社会的学習は、個人的学習よりも効率的で正確であることが多いためだ。このような理由から、人間は、本来の個人的意見と食い違っているときでさえ、集団の判断を信頼する傾向をもっているのかもしれない。
この研究は、社会的に共有された物語が、個人の記憶をまったく信頼できないものにしうることも説明している。われわれの物語は、よりよいものになる。よりエンターテインメント的で、ドラマチックで、恐ろしさをより強調したものになったりする。しかし、その「改良」は事実を犠牲にすることで行われている。物語は意味を生じさせるが、人生はふつう、そうではないからだ。
【人の記憶は宛にならないどころ、問題を引き起こすこともある】