日本のコンテンツはなぜ海外で勝てないか――AKB48生みの親、秋元康氏が語る - BLOGOS編集部 - BLOGOS(ブロゴス)

AKB48というグループに存在することによって、あなたは何を見せたいのか、ということです。ある子はブログが面白かったり、ある子はコントで間を取るのが上手かったり、ある子は絵を書くのが上手だったりとか、将来的には何の才能があるかわからない。でも見習いで入ってから、絵の才能や作詞の才能とか何でも試す場になればいいと思っています教育とは、全部が同じじゃなくてもいい、ということなんです。AKB48は鍋で煮込んでいるスープみたいに、すごく出汁がでています。どのタイミングでも同じAKB48は存在しない。毎日違っている。僕らは欧米に憧れて、音楽やファッションを真似してきました。でも同じことをやっても彼らは越えられないんです。日本人が同じことをやったって相手にしれくれない。でも、例えば日本のホラーは海外でブームになりました。リングのリメイク、呪怨のリメイクが出たりして、つまり日本にしかない「怨念」みたいな感覚がウケた。日本にしかないもので挑戦すればいいんです。納豆に例えてみましょう。納豆を国外に輸出するとき、まず「においが無理ではないか」という意見が出て、じゃあ匂いを消しましょう、ねばりも無理だろうからねばりも消しましょう。こんなふうに我々は欧米のスタイルに合わせてきました。でもそんな納豆なんて誰も食べない。デビューして光り輝いたところから、お客さんは見てきた。でもAKB48はその前の段階から見せている。今後のことは何もわかりません。これからは、「わからないもの」が1番いいと思います。最近、僕にとって衝撃だったのはフランスから来た公演「ジンガロ」。つまり馬のショーです。ちょっと前だと女子十二楽坊とかブルーマンにも衝撃を受けた。韓国のドローイングショーもすごかった。つまり見たことがないものが良いものなんです。アイドルの総選挙やじゃんけんは、たかだか次のシングルのセンターを決めるだけのイベントなのに、まだ誰も見たことがなかったから面白がった。他のグループもやっていたらAKB48の総選挙やじゃんけん自体は面白いものではないと思います。僕らは昔、文通相手と渋谷のハチ公前で待ち合せなんかしていました。その時は「きっとこんな人がくるはず」とか考えていたはずです。いまは同じように、「コンテンツとはこういうものだ」と考え過ぎていると思います。枝豆を殻から押し出す感触を楽しむというおもちゃがあります。ただ枝豆を出す感触が気持ちいいと考えた人が、立派なコンテンツを作ったんです。僕は40歳まで勘違いしていました。テレビはこの時間にこの層が見ているとか、この映画はこの層に向けて作るとか、必ずターゲットを想定していました。大衆はこういうものを欲しているだろうと予想していたんです。でも自分自身がその番組を観なかったり、映画を観に行かなかったりすることもありました。つまり、大衆のために作っていると言いながら、自分も大衆の1人だということに気づいていなかったんです。

自分も面白いと思わない限り、ターゲットが誰であれ、面白いものにはならない。コンテンツが当たる時はドミノ倒しのように広まる。まず自分が倒れないと他には誰も倒れない。それまでの僕は「みんなこういうの好きでしょ」って立ちっ放しで作っていました。でも自分も倒れるくらい面白くなければだめだったんです。

周りを見ながら作るのではなく、自分が良いと思うものを作る。止まっている時計は1日に2度、正しい時間を示します。でも周りをうかがっていると絶対に合わない。正しい時間を追いかけ続けるだけです。